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緊急避妊法の歴史


緊急避妊薬の歴史は1966年のモリスの考案に始まります。
1970年代まで、DESやダナゾールを含む各種性ホルモン剤が緊急避妊に使用されていました。
第1世代ピルも盛んに使用されました。
第1世代ピルによる緊急避妊は数百万例にもおよぶと推測されています。
第1世代ピルによる緊急避妊で1回の投与量は、
100mgのエストロゲンが目安とされていました。
第2世代の黄体ホルモンであるレボノルゲストレル(levonorgestrel)は、
1970年代の低用量ピル時代を切り開きました。
1974年Yuzpeらは、ノルゲストレル1.0mgとエストロゲンの混合剤が、
事後避妊に使えることを発見しました。
その際、ヤッペも第1世代ピルによる100mgのエストロゲン標準を踏襲しました。
この方法は後に発見者であるカナダ人医師の名を取ってヤッペ法(Yuzpe Regimen)と呼ばれることになりました。
ヤッペらの研究は、十分に検証されたものではなく、
またその機序も明らかでありませんでした。
ヤッペ法は第1世代ピルによる緊急避妊を第2世代ピルに置き換えました。
そして、ノルゲストレルに代わり、レボノルゲストレルを用いたヤッペ法の定式化が進みました。




妊娠の不安を抱えた女性達と接していた欧米の臨床医の間で、
ヤッペ法は静かに広がっていきました。
臨床医達が使用したのは避妊ピルでした。
もちろん、適応外での使用でした。
ヤッペ法は次第に人々に知られるところとなり、
1990年代になるとヤッペ法は爆発的に普及しました。
ヤッペ法専用の薬剤である「プレベン PREVEN」をアメリカFDAが認可したのは、
1998年です。
緊急避妊法の草の根の広がりが、
専用の緊急避妊薬を生み出しました。
本サイト開設時(1999年)の緊急避妊のページは、
そのような時代の雰囲気(欧米の)を反映したものでした。
1990年代のヤッペ法の普及は、
緊急避妊法研究を盛んにしていきます。




上述したように、緊急避妊法は臨床医の手探りの中で普及・確立されていきました。
そのため、さまざまなバリエーションが考案されていました。
第2世代のレボノルゲストレルだけでなく、
他の世代の黄体ホルモンでも緊急避妊ができるのではないかという研究も行われました。
エストロゲン単剤による緊急避妊も研究されました。
また、エラーソンらは、レボノルゲストレル以外でも緊急避妊が可能であることを見いだしました。(Ellertson C, et.al.,Obstet Gynecol. 2003;101:1160‐7.)
ところが、それらはほとんど知られざる研究になっていきます。
それには3つの理由が関係しています。
1つは、プリベンの認可によりヤッペ法の定式化が進んだことです。
FDAは最も実績のあるヤッペ法の用量・用法を基準に、
緊急避妊の定式化を図りました。
2つ目に、第2世代ピルはもっともポピュラーであり、
これを他で代替する必要がほとんどなかったことです。
3つ目に、黄体ホルモン単剤の緊急避妊法の開発です。
プリベンが認可された翌年の1999年に、
FDAは黄体ホルモン単剤の緊急避妊薬である「プランB (Plan B)」を認可しました。
Plan Bはエストロゲンが含まれていませんので、
ヤッペ法の欠点であった強い副作用が格段に軽減されました。
プランBの登場により、緊急避妊はヤッペ法の時代から飛躍的進化を遂げました。
さらに、現在では「酢酸ウリプリスタル ulipristal acetate」など、
抗黄体ホルモン剤の緊急避妊薬が使用されるようになっています。



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