新編「ピルとのつきあい方」序文
(1) 避妊薬ピルが解禁された1999年9月、私はアメリカにいた。
解禁日の様子を電話で友人に聞いた。
マスコミ報道も歓迎的なトーンとのことであった。
私が「5年もつといいけどね」と言うと、
友人はニュースバリューは薄れるのでは、という趣旨の返事をした。
自分の意図が伝わらなかったと思ったが、
「そうだよね」と答えた。
実は「5年もつといいけどね」は、
5年後に避妊薬ピルがなくなっていなければよいが、
という意味で言ったのだった。
意図が伝わらなかったのだが、
あえてそれ以上は言わなかった。
欧米のピル事情を知っていると、
日本にはピルが定着する条件があまりになさ過ぎた。
それを手短に説明するのは、
むつかしいと思ったからだ。
おそらく、私の友人だけでなくほとんどの日本人が、
解禁されたピルが数年間で消滅するなどと、
心配していなかっただろう。
(2)
日本にピルが定着する条件がない。
私がそう考えたのは、
アメリカのPlanned Parenthoodの活動をつぶさに見ていたからだ。
Planned Parenthoodは、Planned Parenthood Federation of Americaの略であり、
全米に800以上の施設を展開し、スタッフ数2万7000人、年間予算10億ドルの巨大組織だ。
カナダや欧州にも同じような組織や施設がある。
現在のPP施設は診療所の機能を持っているが、
PPの本質はボランティア組織なのである。
ピル普及の鍵はボランティア。
こう言っても1999年の日本では全く理解されなかったと思う。
ピルユーザーの種々様々な疑問や悩みに、
ユーザー視点からのアドバイスがなかったら、
ピルは決して普及しない。
それは医療関係者だけで到底担いきれるものではないのだ。
PPのボランティアはそこで力を発揮していた。
PPのすごさはボランティアの質・量だ。
この条件が日本には決定的に欠如していた。
(3)
さらに悪いことに日本では、
産婦人科医がピルを囲い込もうとしていた。
アメリカではホームドクターからヘルスケアマネージャーまで普通に処方しているのに、だ。
当時作成された「低用量経口避妊薬(OC)の医師向け処方についての情報提供資料」
を読んでため息が出たのを覚えている。もちろん、専門家が責任を持ってリードしていくことが一概に悪いとはいえない。
ところが、その専門家の低用量ピルに関する知識は、
お世辞にもそれなりのレベルといえる状態ではなかった。
ほとんどの専門ドクターが、
どの低用量ピルも同じと思っているレベルだったのだ。
(4)
現在日本の様々な掲示板でピルに関する相談が行われている。
そして的確なアドバイスをする回答者が数多く存在している。
それはまさにPPボランティアと同じなのだ。
アメリカの掲示板で、そしてPPセンターで、
日々繰り返されていることを日本でも実現すること。
そのためにはアドバイザーが自信を持って答えられる情報が必要であるし、
その根拠も明確でなくてはならない。
そのような視点からサイトの内容を構築した。
本サイトはボランティアアドバイザーの出現にいささかの貢献をできたと自負している。
(5)
なお、Planned Parenthoodの創設者はマーガレット・サンガーである。
サンガーはある種カリスマ性を持った女性であり、
それ故に一部勢力から執拗な誹謗が行われている。生前のサンガーも迫害に耐えて信念を貫いた人であった。
帰国の年、たまたまスミソニアンでピルの歴史展が開かれた。
日程をやりくりしてワシントンに出かけた。
開発時のピルが梅干しのような外見だったのには驚いた。
サンガーのスピーチ音声が流れているコーナーもあった。
すき透った声だった。切々と語っているのだが、熱が感じられて感動的なスピーチだった。
サンガーのスピーチに聞き入っていた私に、
「サンガーを知っているか」と尋ねてきた初老の女性がいた。
彼女と小一時間ほどお茶を飲んだ。
最後に彼女は、「サンガーの日本の娘になりなさい」と言った。
(6)サンガーの日本の娘。なぜか、この言葉を頭の中で反復していた。
日本で言えば、加藤しずえさんが「サンガーの日本の娘」だろう。
そして今、アメリカには名もなきサンガーの娘たちがたくさんいる。
サンガーの日本の娘、サンガーの日本の娘。
実はそれはその言葉の1年ほど前からぼんやり考えていたことだった。
サイト開設に当たって、「サンガーの日本の娘」の画像を作ってもらった。
「写真のこの人の日本の娘の画像」を作ってほしいという、とんでもない依頼をしていた。
「アグレッシブで頼りになるお姉さんっていう感じかな」と付け加えた。
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似ていなくても全然問題ないんだからと無理矢理作ってもらったのが、
当サイトの画像であった。
日本にも、アメリカと同様に多くの「サンガーの娘たち」が出現したと思っている。
(7)
日本で認可されたピルは10ブランド、6種類のピルであった。
そして実際に発売されたのは、わずか5種類のピルであった。
ずいぶん寂しい出発であったが、
5年後まで5種類のピルが生き延び、
できれば6種類になってほしいというのが当サイトの願いであった。
当時既に世界のピルはさらに進化しつつあったけれども、
あえてそのことには触れなかった。
マーベロンが日本でも発売される環境を作りたいという思いから、
それなりの説明もしてきた。
この点に関して、所期の目標は達せられたと考えている。
本サイトはガイドラインの問題点の指摘も行った。
ガイドラインが改善されたのは本サイトの指摘とは関係ないかもしれないが、
一定の役割を果たしたのではないかと自負している。
本サイトが緊急避妊法について紹介した当時、
緊急避妊法についてほとんど知られていないのが現実であった。
当時、世界では黄体ホルモン単味剤での緊急避妊が知られていたのだが、
そのことについてはあえて触れなかった。
日本の所与の環境の中で可能な緊急避妊法を紹介し、
まずは緊急避妊法の定着をめざした。
このことについても、本サイトは一定の寄与をしたのではないかと自負している。
その他、低用量ピルによる月経移動の方法など本サイトによる情報提供は、
ささやかながら貢献できた点もあるのではないかと考えている。
数年前サイトを閉鎖することをいったん決意したのは、
所期の目標はほぼ達成されたとの認識もあったからだ。
もちろん、私たちは日本の現状に満足し切っていたわけではない。
むしろ、最低限の条件整備が行われたに過ぎないと考えている。
残されている課題は多いのであるが、
1ウェブサイトの担いきれる課題でもなかった。
(8)
2010年11月、バイエル薬品から月経困難症治療剤ヤーズ配合錠が発売された。
YAZは本来、超低用量ピルであり、歓迎すべき事だ。
しかし、日本での認可は避妊用超低用量ピルとしての認可ではない。
治療薬としての認可なのだ。
私はかつて、ピルの治療薬化の問題点を指摘したことがある。
おそれていたピルの治療薬化のドミノが起きようとしている。
ヤーズ配合錠とルナベル配合錠の薬価は7000円程度である
(自己負担額は3割+)。
メーカーからしてみると、薬価と小売値は同等の意味である。
避妊薬として認可を取ると市場小売価格2500円程度の物が、
治療薬として認可を取ると7000円にもなるのである。
これでは、避妊薬として認可を求めるメーカーは現れないだろう。
(9)
薬価はやがて下がる。7000円の薬価が4000円に下がったとする。
患者負担は1200円となる。
このとき、どのような現象が起きるか想像してみるとよい。
病院としてみると、月経困難症と診断して薬価4000円の薬剤を処方する方が得だし、
患者からしても生理痛があるといえば1200円でピルを処方してもらえるなら、
そちらを選ぶだろう。
たしかにその時、既存の避妊用ピルの卸値が半額になり小売値も半額になる可能性もある。
しかし、その可能性は限りなくゼロなのだ。
病院の経営を考えれば、そのような選択はあり得ない。
つまり、避妊用ピルは日本から淘汰されてしまうのだ。
オーソMの治療薬化をかつてピル絶滅計画と評したことがある。
今、それが現実の問題となっている。
(10)
2005年5月、ネットを去ることを決意した。
敗北を悟ったからだ。
前月の衆院厚労委員会で、政府は水島議員の要求を認めた。
日本で避妊薬としてのピルが解禁された1999年に、
ピルを避妊薬として認めず治療薬としていたのは日本と北朝鮮だけだった。
やっとルビコンを渡ったのに、日本は川の向こうに引き返そうとしていた。
1錠300円から400円程度になるとの情報も得ていた。
政官財学民一体の力に抵抗しても無駄だと悟った。
辞世の句の代わりに、何が問題なのかを文章にして表明した。
その後の事態はその時思った通りに推移していた。
(11)
2011年、東電原発事故が起きた。
事故後の報道の中で、「原子力ムラ」の存在が明るみになった。
「原子力ムラ」は学会の中のムラを意味しているが、
政官財学民それぞれに「原子力ムラ」があったのだろう (「民」は立地自治体) 。
「原子力ムラ」のメンバーは、利害関係者だ。
重大な事故を起こすような地震や津波は発生しない!!!圧力容器から放射性物質が漏れることはない!!!
利害関係者によって決められたことで、
多くの人々が被害をこうむるのは何とも理不尽なことだ。
この構図とピルの治療薬化の構図が重なるように思えた。
そして、「原子力ムラ」のメンバーであることを拒否してきた人のいることも知った。
彼らはずっと「敗北者」であったが、発言し続けてきたようなのだ。
発言を止めた自分が恥ずかしかった。
そして勇気をもらった。
今なら可能性はある、今こそ声を上げなくては。
そんな気持ちで「ピルとのつきあい方」の再構築を決意した。