1970年代のピルブームについて考える
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ピルに対して特殊な国となっている日本には、普通の国になるチャンスが過去に3度ありました。2度目のチャンスであった1970年代のピルブームがどのような横槍で潰されていったのか考えてみます。







ピル認可を阻止した日本家族計画連盟の反対


アメリカでピルが認可された翌年の1961(昭和36)年には、
日本でもピル認可に向けた動きが始まりました(認可申請は1962年)。
厚生省(当時)はピルの認可に積極的とも言える対応を取っており、
1964(昭和39)年には認可がほぼ確実になっていました。
ところが、同年6月、事もあろうに日本家族計画連盟(日本家族計画協会の前身)から避妊薬認可反対建議書が提出されました。
以後、審議は異例ずくめの展開をたどることになります。
それでも、1965(昭和40)年7月には薬事審医薬品特別部会で認可決定される所まで漕ぎ着けていました。
しかし、部会会議の中止という荒技でピルの認可は潰されてしまったのです。
日本家族計画連盟が日本のピルのガラパゴス化に大きな責任を負っていることは明らかでしょう。

※日本の避妊の特殊性は、日本家族計画連盟/日本家族計画協会の特殊性と密接に関係しています。日本は人口調整のための避妊を国策として採用し、成功させた最初の国でした(後の中国の「一人っ子政策」のモデル)。その推進機関が日本家族計画連盟/日本家族計画協会でした。人口政策としての避妊と人権としての出産・避妊は、相容れません。それは「一人っ子政策」下の中国で中絶の強要など、人権の無視が生じていることを見れば明らかです。世界の避妊が人権思想に基づくものに変化していったのに対して、日本家族計画連盟/日本家族計画協会は対応できませんでした。同会がピルの認可を阻止したという歴史的事実は、同会の性格と密接に関係しています。現在、同会はピルや緊急避妊推進の立場を取っていますが、今なお負の遺産を引き継いでいるように見えます。この点については、別ページで述べます。
 

望まない妊娠とピルの必要性

国策として家族計画の普及が強力に推進されました。地域における徹底した家族計画普及推進の様子は以下でうかがい知ることが出来ます。
1956(昭和31)年2月15日、古河保健所は境町森戸地区の5ヶ所で家族計画についての説明会を開催している。保健所員(田村助産婦)による説明と映画「黒い太陽」鑑賞のこの催し案内は、町婦人会・衛生班長・農協婦人部などに会員の出席を要請し、「尚此の件については未婚者の方は御遠慮願います」としている。(旧森戸村役場文書「自昭和29年至昭和三十年通知文書綴」) 
三和村(現三和町)でも、8月6〜8日、厚生課が各地区において受胎調整並びに赤痢予防の映画会と講習会をおこなう。(「三和村報」第17号、1956.8.1)
  「1945〜’47年の茨城新聞を読む」より一部抜粋

上記引用に「未婚者の方はご遠慮願います」とあるように、家族計画は既婚者を対象とするものでした。
しかし、女性のライフスタイルの変化に伴い、避妊は家族の問題だけではなくなりつつありました。「家族計画」の枠では見えない新たな避妊需要が生じていて、それへの対応がなされていないために多くの望まない妊娠が生じていました。
このような時代の変化を道徳の問題と考える人が大多数を占めている中で、一部の有識者はピルが認可されていないために生じている問題ととらえました。そして彼らは治療薬として認可されているピルが避妊に使用できるとの情報を広めました。
そのような呼びかけを行った医師の1人が我妻堯でした。

それは時代の要求していた情報だったので、瞬く間に広がりました。
そしてその結果、避妊効能未認可のピルの避妊目的使用が急拡大しました。



上の図を見ると、短期間にピルが普及した様子がわかるでしょう。
ピルユーザーの数は現在の2倍の50万人に達していたとの推測もあります。
確実な避妊を願う女性の気持ちは今も当時も変わらなかったのです。
1970年代のピル普及には、さらに2つの特徴が見られました。
一つはピルは必ずしも産婦人科で処方されておらず、
内科や小児科でも処方されていました。
もう一つは価格です。
中用量ピルが薬価に準じる価格で処方されていたので、
経済的負担はきわめて小さかったのです。
1970年代のピル普及は、利用環境を整えれば日本でもピルは他国と同じように普及することを示しています。

ピル国家管理システムのスタート

1970年代のピル普及の勢いが持続していれば、
日本でも欧米並みにピルが普及していたと思われます。
しかし、実際にはこのピルブームは急速に失速していくことになります。
なぜ、1970年代のピルブームは失速するのでしょう。
実は1970年代は、ピルブームの時代であると同時に、
ピルの国家管理システムが構築される時代でもあるのです。
1970年代に構築されたピルの国家管理システムは70年代には実効力を現しませんでしたが、
1980年代以後じわりじわりと効力を発揮します。
1970年代に構築されたピルの国家管理システムは、
現在も有効に機能しています。


避妊効能教唆禁止令と情報管理


中用量ピルを避妊薬として使用する動きが現れ始めると、
政府は1971(昭和46)年12月9日に中用量ピルが避妊の効能をもつことを教示あるいは暗示することを禁止する措置を取りました。

上に述べたように、一部の医師は日本の望まない妊娠の現状を憂慮して、
中用量ピルが避妊薬として使えるとの情報を伝えていました。
これを封じるために教示禁止令が出されたのです。
この教示禁止令の問題性に気づいたのは、参議院議員須原昭二でした。
彼は質問趣意書で教唆禁止令に触れた上で、次のように糺しました。

政府は、“経口避妊薬としての使用は認めない”といつているが、現実には、経口避妊薬の服用による家族計画の実行が行われていることは、前記の毎日新聞社人口問題調査会の世論調査が示すとおりである。(中略)
 右の事実は、臨床試験にかかわらず、ひろく医師の指導監督のもとであるなら経口避妊薬の服用を黙認しているということになると了解してよろしいか。   http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/072/syup/s072001.pdf

須原昭二は教唆禁止令により経口避妊薬としての使用が出来なくなることを心配して上記の質問をしており、教唆禁止令そのものに対する質問になっていません。
須原の質問に対しする政府の答弁は「右以外の効能効果に着目して、医薬品が使用されることは法の禁じているところではない」でした。
問題の本質は教唆禁止令であったのに、処方継続の是非に論点がずれています。
以上の経過により、中用量ピルが避妊に使えることを教唆してはいけないが、医師は避妊のために処方してもよいという奇妙なシステムが出来てしまいました。
つまり、教唆禁止令は「中用量ピルが避妊に使える」と言うことを情報として流布させてはいけないと理解できる決着でした。
これでは、避妊薬として利用したいと思う女性が徐々に減少していったのは当然です。
この教唆禁止令は撤回されていませんので、おそらく現在も有効です。

 

敷居を高くする供給管理


上記の参議院議員須原昭二は質問趣意書の中で、「追いかけて同年六月一日には、全国の薬局から、これらの製剤を引き上げる回収措置をとつた」と指摘しています。
同年とあるのは、1972(昭和47)年6月1日です。
これに対する政府答弁書は、
「御指摘の女性ホルモン製剤について薬局等からの回収に関する行政措置を講じたことはない。医師から処方せんの交付又は指示を受ければ薬局等でこれらの医薬品を購入することは、もちろん可能であり、この建前が現実に行われるよう、医薬分業の本旨にかんがみ、今後とも適切な指導を続けてまいる所存である」
となっています。
須原は薬剤師の出身であり、回収日付まで記された質問趣意書の内容が全くのガセだったとは思えません。
上にも書いたように1970年代の急速なピルの普及要因の一つは、内科や小児科でピルの処方箋が発行される敷居の低さでした。
政府答弁はその「建前」は尊重されるべきだと述べています。
しかし、現実に薬局でのピルの取扱がなければ、処方箋は意味をなしません。
薬店からピルを回収する行政措置が取られなくても、
メーカーや卸業者が薬店への供給をストップすればやはり処方箋は意味のない物になります。
1972(昭和47)年6月の回収事件は、処方箋販売への締め付けが始まったことを示唆しているのではないでしょうか。
実際、1980年代から現在に至るまで、ピルを取り扱う薬局等は例外的で、
ほとんどが産婦人科の院内処方となっています。
敷居を高くすることで、ピルの普及を抑制するシステムが始まったと考えます。




産婦人科専売品


須原は質問趣意書の中で、
「すべての薬局から、経口避妊薬としても使用できるからという理由で、
女性ホルモン製剤を回収してしまつて、産婦人科医師の専売権を認めるような措置をとることは、
患者から、医師に対する処方箋交付の申し出を不可能にすることであつて、
医師法第二十二条が置かれた趣旨に反する措置であると考えるがどうか」
と糺しています。

情報管理と供給管理が行われれば、ピルが産婦人科医の専売品になるだろうと須原は指摘しているのです。
その後の経過は、須原の指摘通りになっていきました。
ピルが産婦人科の専売品になることで、1970年代の急激なピル普及を支えていた値段の安さも失われていきました。
プラノバールの現在の薬価は14円です。1シート300円にも満たない価格です。
処方箋で薬局で処方される場合には、基本的に薬価の値段となりました。
ところが、自由診療で院内処方される場合に薬価で販売されることはまずあり得ません。
女性から見て負担が重いと感じられる価格で処方されることも多くなりました。

 

ピル普及抑制策と産婦人科

低用量ピルの認可は日本がピルの普通な国になる3度目のチャンスでした。
ところが、日本はこのチャンスを生かせないように感じています。
政府は1970年代にピルの普及抑制策の枠組みを作りました。
この枠組みの巧妙さは、産婦人科を枠組みの中に取り込んでいることです。
それをひと言で言えば、専売権を認める代わりに普及抑制に協力させると言うものです。
現在の低用量ピルについては避妊薬としてのピルの普及抑制に協力する見返りに、治療効果を強調することが奨励されています。
緊急避妊薬ノルレボについては専売権を認める見返りに、高価格を受け入れさせています。
他国では産婦人科医が緊急避妊薬のOTCスイッチや事前処方を主導しました。
日本ではなぜそのような動きが生じないのか、考えていく必要があるでしょう。

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