良心的先覚者、我妻堯先生のこと

 

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現今の日本では、にわかピル推進産婦人科医が跋扈しています。
それはそれで進歩のようではありますが、
正直なところやや違和感を感じます。
なぜなのでしょうか。
日本には近代的避妊法が欠如していて、
そのため多くの女性が望まない妊娠と中絶を経験するという現実がありました。
これが解決すべき課題であることは明らかでした。
ところが、この課題を直視した医師は少なかったのです。
その中で、この課題を直視した数少ない産婦人科医の一人が、
我妻堯先生でした。
現在、望まない妊娠をなくす課題が解決したわけではありません。
現在も、それが大きな課題であることに変わりありません。
にもかかわらず、日本の産婦人科医はこの課題からまた目を背けようとしています。
ピルの治療薬化は中用量ピルの時代への逆戻りです。
ピルの副効能を強調すれば、避妊ユーザーが増えるわけではありません。
望まない妊娠と中絶をなくす。
この課題意識に立つとき、
先覚者としての我妻堯先生の業績は特筆に値すると考えます。
(以下では、敬称を省略させていただきます)



我妻堯の業績

我妻堯の業績は卓越しているにもかかわらず、
十分な評価がなされていないように思えます。
我妻堯の業績がどれほど先駆的であったのか、
ざっと見てみましょう。

1.避妊外来のルーツ

現在、避妊外来・ピル外来と銘打つ病院が増えてきました。
そのルーツとも言える避妊外来が愛育病院に作られたのは1960年代末でした。
我妻堯は、1968年日本総合愛育研究所愛育病院産婦人科部長兼母性保健部長に就任すると、
家族計画外来を設置します。
それはおそらく留学中に知った欧米の避妊外来をモデルにしたと考えられます。
欧米の避妊外来では、相談が大きな比重を占めています。
我妻堯の目指した避妊外来は、現在の名ばかりの避妊外来・ピル外来よりも進んだものでした。

2.近代的避妊法の導入

『ピル=失敗しない避妊―正しい使い方とIUDの知識』
これは、我妻堯が1974年に刊行した書籍の題名です。
1974年の書籍です。
繰り返します。
これは1974年刊行の書籍です。
日本でピルの避妊効能が認可されたのは、1999年です。
それより25年も前に、治療薬認可のピルを避妊に利用する方法を解説しています。
現在、中用量ピルの緊急避妊薬への転用は適応外であるとか、
低用量ピルの治療目的使用は適応外であるとか、
小役人のような理屈を並べる方がいます。
当時、中用量ピルは避妊効能を認可されていませんでした。
避妊使用はいわば適応外使用ともいえるのですが、
望まない妊娠を減らすために勇気を持って刊行された本でした。

3.緊急避妊法の紹介

1994年、我妻堯は『日本医師会雑誌』112巻14号で、
「モーニングアフターピル」の紹介を行っています。
これは我が国における緊急避妊法紹介の最も早い事例の一つです。
また我妻堯はA Clinical Guide for Contraceptionの第2版(Speroffら原著)を監訳し、
「避妊ガイドブック 避妊の医療と相談援助・性教育のために」として刊行しました。



同書では、ミニピル、緊急避妊法、ノルプラント、デポ・プロベラ、IUDなど、
全ての避妊法が紹介されています。
なお、訳書には「避妊の医療と相談援助・性教育のために」と副題がつけられています。
さりげなく付されているこの副題には、
欧米の実情に通じた我妻堯の見識が示されています。

4.非経口避妊薬への関心

日本で避妊薬ピルが認可された1999年当時、
欧米では既にミレーナ(FDA2000年承認)やヌバリング(FDA2002年承認)など
非経口避妊薬が使用され始めていました。
経口ピルは厳密な規律で服用しないとかなりの比率で妊娠が生じます。
また、30歳代後半以後の服用ではデメリットも大きくなります。
我妻堯はこのような問題のあることに気づいていたのでしょう。
我妻堯は2002年の著書『リプロダクティブヘルス』で、
非経口避妊薬の有望性を指摘しています。


良心に従って行動する気骨のある産婦人科医

以上に概観したように、我妻堯は日本における避妊近代化の先覚者でした。
しかし、不思議なことにその業績が正当に評価されているとは言えないでしょう。
それにはある事情が関係しているのかもしれません。
1970年2月5日の朝日新聞は、
波紋呼ぶ”勇気ある証言”―帝王切開死亡事件の逆転起訴公判
医師は、仲間うちをかばうもの――そんな“通例”を破って「とにかく医師自ら出向いて診断すべきだった」と、
被告の医師の誤りを明確に指摘する証言が4日、東京地裁八王子支部三号法廷で行われた。
証言したのは、東京・麻布の愛育病院産婦人科部長、我妻堯氏。
と報じました。
その記事の内容は、以下で見られます。
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-04.html
我妻堯のもう一つの側面は、良心に従って行動する気骨のある産婦人科医です。
役人の顔色をうかがい、打算で行動する医師ではありません。
このことが我妻堯の業績の正当な評価を妨げているように感じられます。


グローバルな視点

1976年、我妻堯は愛育病院から国立病院医療センター産婦人科医長に転じ、
国立国際医療センター国際医療協力部長、同国際医療協力局長を歴任します。
我妻堯の志は周囲の産婦人科医に引き継がれました。
1997年、性と健康を考える女性専門家の会が設立されます。
同会設立当初のメンバーには、愛育病院・国際事業団で我妻堯と直接あるいは間接に接点のあった産婦人科医が多く含まれていました。
同会の設立総会の記念講演は、キャロライン・ウェストホフ氏(コロンビア大助教授・当時)による「リプロダクティブ・ヘルスとピル」でした。
この演題は、ピルをリプロダクティブ・ヘルスの観点から捉える当時の同会を象徴していたように思えます。
我妻堯は同会のアドバイザーとして迎えられました(同会「活動報告」によると2005年度まで)。
また2000年5月には、同会で「望んだ妊娠・望まない妊娠と人工妊娠中絶」の講演を行っています。
当時の同会メンバーはピルをグローバルな視点から見ることのできる人々でした。
同会ピルプロジェクトは1999年12月、「低用量経口避妊薬(OC)の医師向け診療情報提供資料(いわゆる厚生省によるガイドライン)の問題点と改正すべき点」の指摘を行いました。
その中で、「2日以上のみ忘れたら止めるように書かれているが、それでは妊娠リスクを上げてしまう。(中略)妊娠リスクを上げない実際的な対処法をとるべきである」と述べています。
我妻堯の編訳『避妊ガイドブック』の後を追って
同会メンバーにより『低用量ピル適正使用マニュアル』『ピル博士のピルブック』が刊行されます。
それらは、いずれも海外避妊情報を紹介している点で共通しています。
我妻堯は日本の避妊にグローバルな視点を導入した先達でした。



リプロダクティブ・ヘルス・ライト

性と健康を考える女性専門家の会設立総会の記念講演は、「リプロダクティブ・ヘルスとピル」が演題でした。
我妻堯は2002年に『リプロダクティブヘルス―グローバルな視点から性の健康をみつめる』を刊行します。
リプロダクティブ ヘルスはしばしば、リプロダクティブヘルス/ライツとも言いならわされます。
リプロダクティブ・ヘルス・ライトは、単純なようで奥の深い概念です。
話がそれますが当サイトはリプロダクティブ・ヘルス・ライトの鍵は、
教育(情報)・学習・自立にあると考えてきました。
避妊は個人の価値観の問題です。
指示、指導、強制などとはなじまない問題なのです。
意志決定するのは女性です。
だれも強制はできませんが、情報は提供できます。
このような考えから当サイトはあらゆる情報を提供することにしました。
ピルを理解しピルを使いこなせる女性になってほしいと考えてきました。
主体的に避妊と向かい合える女性の育成が、
リプロダクティブ・ヘルス・ライトの実現にほかなりません。
このような観点から日本のリプロダクティブ・ヘルス・ライト情況を鑑みると、
進歩は遅々たるもののように感じられます。
いや、むしろ後退しているのではないかとも思います。
本来、避妊薬ピルは女性が自身で選択する薬です。
治療薬ピルは医師が治療として選択する薬です。
ピルの治療薬化が進むにつれて、
「主治医」の「指導」「指示」に従って服用することが強調されるようになりました。
我妻堯は「避妊ガイドブック」に、
「避妊の医療と相談援助・性教育のために」との副題を付しました。
同氏の卓見を今こそ想起すべきと考えます。


上述は我妻堯の功績の一部に過ぎません。
我妻堯は哲学のある産婦人科医です。
その全体的評価は当サイトの力のおよぶところではありません。
ただ、当サイトは日本の近代避妊法の源流が我妻堯にあることを確信しています。
源流の清流を顧みることにより、流れは堂々たる大河となるでしょう。
このような思いから、当サイトなりに我妻堯を紹介させていただきました。




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